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2013年10月31日

歌を歌わなくなった

最近思いますのは人が歌を歌わなくなった事です。
自分が幼い頃は終戦直後でしたので之といったレジャー等有りませんでした。
その代わり何故か年上の人は皆、歌を口ずさんでいました。
軍歌だったり民謡だったり色々でした。
”国境の町”、”誰か故郷を思わざる”等々
早朝、近所で納豆売りの青年が毎回必ず同じ歌(題名は忘れましたが”夜は冷たい心は寒いー”)
と歌いながら自転車を走らせていました。家の者はくすくす笑って聞いておりました。
よくまー同じ歌ばかり歌えるなーと。
そのうち十代の美空ひばりさんがデビューして”港町十三番地””花笠道中”が世に出ました。
私も少学校の帰り道に大きな声で”花笠道中”や”お富さん”を歌いながら帰ってきますと
祖母に”大きな声で歌いながら歩くんじゃない”と叱られました。
石原裕次郎さんの"赤いハンカチ””錆びたナイフ”。高倉 健さんの”唐獅子牡丹”
都はるみさんの”涙の連絡線””アンコ椿は恋の花”
井沢八郎さんの”ああ上野駅”等の親しめる曲が毎年世に出ました。
今年はどんな曲が出るのだろうかと待ち遠しかったものでした。
その間にもフォークソングが流行り始め
若者がギター片手に家や学校で歌っていました。
歌を歌うとストレス解消になるので皆自分お気に入りの歌を
持っていてそれなりに心は豊かでした。
残念な事に最近の歌は聞くものであってとても歌えない。
かん高い裏声など素人には所詮無理で歌と言うよりミュージックと
言った方が良いのかよく解りませんが
ストレス発散どころか余計ストレスが貯まる曲が多いのが残念です。
自分の殻に引きこもって聞かされているだけではなく歌ったほうが健康に良いですし、
戦後の日本を作って来た世代は数え切れないくらいの良い曲に癒されながら
生きて来たといえないでしょうか。
  

Posted by 有限会社 四季 at 02:31Comments(4)

2013年10月21日

いわゆる大阪人に関する事

私の経験上面白いエピソードが有ります。
大阪の人:いわゆる大阪人に関する事です。
バブルの頃 大阪・難波の千日前通りからちょいと入った割烹屋さんで
食事を済ませ千日前通りに出たところ交差点が有り赤なので待っていると
凄い勢いで30才位の若者が私の前を走り去りました。
しかし尻のポケットから財布が抜け落ちました。
私はそれを拾い”オーイお兄ちゃーん”と呼び止めそれを渡そうとしました。
この後の展開が面白いのです。
私が”オーイお兄ちゃん”と言った途端 自転車に乗った女性が
とっさに”追ったろか”といってきました。えーあの人ですと言って
その女性に財布を託しどうなるか見ていました。
女性はもっと凄いスピードでそのお兄ちゃんを追っかけてくれました。
アー良かったと思った瞬間後ろからおじさんが”あんたえー事(良い事)
しはったなー”と声をかけて来ました。
面白い点はとっさに”追ったろか”と言ってくれた女性、
”あんたえー事しはったなー”
と声をかけてくれたおじさん。一つの事で一遍に見知らぬ2名が一瞬にして
関わって来た事。大阪人て面白いなーと思いました。
同時に不気味さをも感じました。これも大阪人の特徴の一つなんだなと
思い帰路につきました。  

Posted by 有限会社 四季 at 02:02Comments(0)

2013年10月17日

南三陸町の骨組みだけになった庁舎

前々回、宮城県南三陸町の骨組みだけになった庁舎を「震災遺構」として保存して欲しいと書きました。
この建物は津波の惨劇を伝えていますと同時に自分が水に浸かりながらも市民に避難を促すアナウンスを
して亡くなっていった女子職員の事も忘れられません。私は先日 宮城県南三陸町市役所の担当部署に電話を入れて何とか存続出来ないものか問いました。存続してあれば東北旅行の途中この建物があの悲劇の象徴かと旅人は想うでしょう。無くなれば南三陸町の惨劇を思い出す人はいずれいなくなります。等々説得しました。しかし亡くなった女子職員のアナウンスで生き延びた市民達が現在、復興に勤めている訳です。復興途中でこの建物が邪魔な存在になるそうです。庁舎の周辺をかさ上げするので無理、7割の市民が存続に反対しているそうです、それに加えてもうこれは決定事項ですから出来ませんの一点張りでした。
庁舎の周辺をかさ上げするので邪魔になるならばどこか別の場所を探し移築したらどうか問いましたが
色々理由を述べられてyesの返事は貰えられませんでした。であるならば将来の人に託すしか有りません。解体した骨組みの鉄骨をカッターで廃材にせず鉄骨をそのままの形でいつか再現出来る様保存して欲しいと
懇願して電話を切りました。人も変わり人の心も変わった時 役立てれば良いと願い私もこの事にけじめをつけました。それにしましても南三陸町という名前は津波が無ければ知る人ぞ知る程度の名前だった筈です。三陸大津波のシンボルがなくなります。南三陸町と言う名前もいずれ忘れ去られるでしょう。
  

Posted by 有限会社 四季 at 01:02Comments(1)